TOPに戻る
前のページ 次のページ

「汚れ」

 その日のレッスンは一度もピアノに触れることなく終わり、僕は音楽教室を出ると寄り道することもなく帰路についた。

 玄関のドアを開けた途端、中から澱んだ空気が流れ出てくる。黒のカーペットを敷いた、六畳半ほどの四角い部屋。左側にはユニットバスに通じるドアがあり、右側には二畳ほどのスペースの台所がある。部屋の中にはベッドとローテーブル、小説のぎっしり詰まった本棚、それにテレビがあり、ローテーブルの上にはパソコンが乗っていて、そのすぐ横には空のスナック菓子の袋と飲み残しのコーヒーが入ったマグカップが無造作に置かれていた。

 寂しい部屋だ。それでも僕はこの部屋を嫌いにはなれない。

 僕は鞄を部屋の隅に置くと、窓際へ歩み寄り、カーテンを開けた。ときどき僕は、無性に部屋の片付けをしたくなる。ひょっとするとそんな時、僕は僕自身の心を部屋に置き換え、整理しようとしているのかもしれない。そんな風に思う。僕は小さく息を吐くと、部屋の片付けに取り掛かった。

 一番簡単に思えたので、まずは溜まった汚れ物の洗濯を始めた。しかし、量が多くて全てを洗濯ネットに入れることは出来なかった。シャツが五枚、ズボンが四本、ネクタイ、タオル、Tシャツ、靴下、それに下着。タオルをネットに入れるのは諦めて、洗濯機を回した。

 洗濯が片付くと、今度は掃除に移った。読まなくなった雑誌と新聞をビニールの紐で括り、ペットボトルと空き缶をコンビニの袋に入れた。それから拭き掃除を済ませ、床に掃除機をかけたら、いっぱいになったゴミ袋をマンションの一階にある共有のゴミ捨て場に運んだ。

 次は、ユニットバスの掃除だ。普段見えないところに発生していた黒カビを擦り落とし、浴槽とトイレは丁寧に磨き上げた。

 最後に台所のシンクに積み上げられた食器を洗い、一週間ぶりに窓を開けて換気をすると、部屋は見違えるように綺麗になった。

 僕はベッドの端に座り、額の汗を手の甲で拭い、がらんとしたマンションの部屋に不規則な呼吸の音を響かせながら、何か楽しいことを考えようとした。その方が、今まで考えていたことよりもずっとましだ。つまり、僕自身のことよりも。

 知っているだろうか。心の中に飲み込めない塊が引っ掛かっている時、窒息しないように無理に別のものを流し込もうとすると、心がむせて塊を吐き出そうとするのを。そうなんだ、痛い、また吐き気がする。大きな大きな塊が。

 言い知れぬ悲しみ。それが僕の感じていたものに一番近いものだった。まるで、突然胸の奥に物質化した塊が現れ、肺を圧迫しているようだった。呼吸をするためには大きく喘がなければならなかった。先生のはにかんだ笑顔が僕の中の引き金を引いた。彼が鏡の前に立ち、履きなれないズボンに足を通し、シャツを羽織り、新品の眼鏡を掛けて、仕上がりを値踏みしているところを想像した。僕は自分自身と先生と、僕たちの共通点にぞっとするほどの惨めさを感じて吐きそうになった。

 十分か二十分ほどそこに座ったまま、僕は両手に顔をうずめて思索した。

 どうして人は他人のことになると利口なのに、自分のことになるとそうではないのだろう。先生は僕に自分の体験を話すことで、僕に自信を持たせようとしてくれた。けれども先生自身は本質的には何も変わっていないように見えた。事故の被害者と関わらない気でいるのなら、あんな風に話すこと自体、自分自身に矛盾している。完全に忘れてしまうか、自分の中で何らかの決着をつけない限り何かが変わったなどとは言えない。

 僕たちはことある毎に過去のことを思い出し、変わろうとした時のことを、長い人生の中の、一つの例外的なエピソードと見なすようになるだろう。無理をして自分自身を見失うところだったと考えるはずだ。僕は何度もこのループを体験し、その都度元の場所に戻ってきた。先生の気持ちの変化もそう長くは続かないだろう。また同じことが起こったら、いや、必ず同じことは起こるはずだが、彼はまた同じ場所に戻ってくる。何故なら、何をしたところでそれが過去に何の影響ももたらさないことを僕は知っていたし、深く抉られた傷が消えるわけもなく、そのことに対する自分の気持ちを変えることなど出来ないと分かっていたからだ。起きたことはなかったことには出来ない。悲しみとやるせなさは緩やかに心を蝕み、それは僕の人生を駄目にしていくに違いない。

 「なんで」

 僕は溜息を漏らすように呟いた。

 こんなことは早くやめたい。変化を否定することで何を証明しようとしているのか、自分でもよく分からない。けれども、もう習慣というか、癖というか、僕の一部になっていた。そんな自分が嫌で嫌で仕方なかったが、どうしようもなかった。ただ、まずいことに、こうなると侵食してくる過去から逃げられない。

 その夜、僕はなかなか寝付けなかった。重い空気が全身に圧し掛かっていた。家は軋み、呻いた。キッチンにある冷蔵庫は絶えず低い唸り声をあげ、枕元では充電中の携帯のランプがぼんやりと僕の顔を照らしていた。

 僕はベッドに横たわり、疲れに身を任せようとした。意識的に筋肉をリラックスさせ、無理にでも呼吸を深くしようとしたが、意識すればするほど目が覚めてしまった。半年ほど前に医師から処方されたリーゼとメイラックスが残っていたので、二錠を同時に服用してみたが、更に一時間が経っても眠りに就くことは出来なかった。目を閉じる度に、瞼の裏に僕を責める祖母と叔母の姿が鮮やかに浮かび上がった。それは母が職場の男性と駆け落ちをし、失踪した翌月のことだった。頭の中で兄の携帯がメールを受信する。母の失踪を告げるメール。というか、母から僕たちに宛てられた絶縁を宣言するメールだ。それともそれは良心の呵責からくる母なりのせめてもの気遣いだったのだろうか。見たくなかった。母が家を出て行ったという事実だけでもう沢山だった。とにかく、そのメールを最後に母は四年間もの間何の連絡も寄こしてこなかった。

 時々、僕は母に感情をぶつけたくなる。実家を離れ、新しい人生を歩き始めた僕の前に現れた母は、消し去りたい過去の象徴だからだ。たまに電話がかかってきても新しい家庭の話だけ。その後で取って付けたように僕の近況を伺う。僕が会話中次第に無口になっていくからだ。本当なら、僕はこう言わなくてはいけない。そんな話、聞きたくないよ。僕は母さんの血を分けた子供なんだ。それなのに母さんは僕を捨てて知らない男と暮らしている。母さんがいなくなってから、僕がどんな目に遭ったか想像出来る?だって、母さんの母親や姉妹は母さんがいなくなったのは僕のせいだって言ったんだぜ。僕が生まれたから母さんは父さんと結婚しないといけなくなったんだって。父さんの兄弟からは母さんの悪口を散々聞かされたよ。兄さんの母親は貴女じゃないからね。責められるのは僕だけだった。父さんは相変わらず僕に無関心だったよ。アルバイトを禁止された僕はお金を稼ぐことも出来ず、父さんの働いた金で買った食料で腹を満たすしかなかったのに、父さんはしばらくの間僕に一円も恵んではくれなかった。そのことに気づいた兄さんがインスタント食品を恵んでくれて何とか生きていくことが出来たけれど、そうじゃなかったら僕はいまごろどうなっていたんだろうね?しかも、信じられる?その時父さんは実は無職で、僕の名前で借りた僕の奨学金と兄さんがアルバイトで稼いだ金で生活していたんだって。お陰で僕は毎月奨学金の返済に追われているよ。一度父さんを殺そうとしたこともあったんだ。包丁をつきつける僕を見ても父さんは無関心だった。僕には自分が存在している意味も、本当に存在しているのかどうかも分からなかった。母さんはその間どんな生活を送っていたの?幸せだった?ところで、こんなに言葉が際限なく出てくるのは、気が狂いかけているからかな?それとも蓄積された思いが溢れ出しているせいかな?それからね、母さん。ねえ、母さんは何かしようとする度に過去に引きずられて立ち尽くすことがある?変化に恐怖を覚えることは?それからね……。
前のページ 次のページ
TOPに戻る