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「告解」

 「大丈夫?」

 見上げると、五歳の僕が心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。大丈夫なわけない、と心の中で答えた。苦しいんだ。解放されたい。誰かに理解してもらいたい。記憶を消し去ってしまいたい。

 「何とかなるよ」

 僕は彼から顔を背けて答えた。

 「今までだってこうやってやり過ごしてきたんだし」

 「どうして助けを求めないの?」

 彼はベッドの端に腰掛け、掛布団からはみ出した僕の手に自分の手を重ねた。その途端、何故か僕の心の中に罪悪感が広がった。

 「みんなと同じでいたいから」

 僕は囁く。

 「食卓を囲んで他愛もない話をする、ごく普通の家庭に育ったように振舞いたかったんだ」

 「それで、何が手に入ったの?」

 小さく細い指が僕の手に絡みついてくる。

 「何も。でも、お陰で惨めな思いはしなくて済んだ」

 「そんなの可笑しいよ。だって、君は君のことを誰かに分かってもらいたいと思っているんでしょ?」

 「哀れまれるくらいなら、理解されない方がましだ。それに話をしたところで、相手が僕に同情してくれるとは限らないよ」

 彼は深く溜息を吐いてから頷いた。

 「覚えているんだ、全ては僕のせいだと言われた時のこと。僕はただ母さんが恋しくて、その気持ちを打ち明けただけだ。でも、僕さえ生まれてこなければ、こんなことにはならなかったと責められた。目の前が真っ暗になって涙が流れたけど、おばあちゃんはそんな僕に、悲劇の主人公ぶるなと怒鳴った」

 救いを求めた手を厳しく跳ね除けられた時の気持ちが蘇って、少し言葉に詰まった。

 「世界に拒絶されたような気分だった。そのあと僕が家を出て、大学に進学して、成人を迎えても、誰も祝福の言葉一つ掛けてはくれなかった。従兄弟の成人式には大々的にパーティーまで開いたっていうのにね。厄介ごとの詰まった袋みたいな僕よりは、高校を中退してパチンコ店でバイトをしている従兄弟の方がよっぽど可愛いんだよ。あの子は働き始めても、月々の携帯代をおばあちゃんに払ってもらっていた。でも僕は、一円も。学費も生活費も全部自分で出した。どうしてなんだ?僕はおばあちゃんの誕生日も敬老の日も忘れたことがなかったし、問題だって起こしたことがなかったじゃないか。叔母さんも僕をいい子だと褒めてくれたじゃないか。それなのにあの人たちは僕を心の中から追い出したんだ」

 「母さんのことは追い出さなかったのにね。それに、父さんの母さんや兄弟も父さんのことは追い出さなかったよね」

 「僕には誰もいなかった。親戚の誰にも頼ることが出来なかった。家族と呼べるのは兄さんだけだった」

 彼は頷いた。

 「兄さんのことは好きだよ」

 「そう、僕のことを気に掛けてくれる唯一の存在だからね。親戚の中傷から守ってくれたことはないけれど、兄さんだって傷ついていたんだ。だからそのことを恨んだりはしてないよ。そうだろ?」

 僕の声には妙な響きがあったのかもしれない。ことによると神経質になっていたか、脅えていたのかもしれない。彼がその声を聞いて眉を顰めたからだ。彼はまるで僕を値踏みするように、まじまじとこちらを見つめた。それから首を横に振った。

 「十四年」

 彼は言った。

 「幸せな家族ごっこはたったの十四年で終わったね。残りは全部嫌な思い出ばかり。ううん、これからも嫌な思い出を作り続けるんだ。誰も君のことなんか好きになってくれない。みんなが好きなのは無知で手のかからない素直な僕のことだけだ。でも、傷ついて臆病になった君のことなんて好きになってはくれないよ。実の両親すら好きになってくれなかったんだから」

 僕は上半身を起こし、彼を正面から見据えた。

 「頭では理解しているんだ。だけど心の中じゃ子供の頃の思い出を引きずっている。いつか奇跡が起きて、あの頃みたいな関係に戻れるんじゃないかって期待している」

 「そうだね、だから僕はここにいるんだ」

 「あんなことが起きなければ、僕はもっとましな人間になっていたはずなんだ。もっと上手く立ち回って、いつも友達に囲まれていて……」

 「そうなりたかったんだよね」

 彼は僕の言葉を遮った。

 「何か上手くいかないことがある度に、君はそれを過去のせいにするんだ」

 「やめてよ!」

 僕は叫び、彼の存在を心の中から閉め出そうとした。

 「やめてよ。僕のせいじゃない。僕には何も出来ない!」

 「君は僕が嫌いなの?」

 静かな声が冷ややかに問い掛ける。僕は彼に引きずり込まれそうになる。観客のいない綱渡りをしているような気がする。一歩足を踏み外せば、僕は正気を見失うだろう。以前にも一度、その境界を彷徨ったことがある。もう一度あそこに行けば楽になれるだろうか。あそこに行けば、全ての責任を放棄して、子供みたいに他人任せにすることが出来る。そうすれば、永遠に過去から逃れることが出来る。

 愛されている人々ばかりのこの世界で、僕は目に見えない異端者だ。それでも僕は檻の中に居座り続けるのか?

 答えは、NOだ。


 * * *


 明け方に、誰かが家の中を動き回る音で目が覚めた。肘をついて身を起こし、音のする方向を見た。薄明かりの射す場所に、子供の頃の僕がいた。灰色の服を着て、真っ黒な前髪の下から、青白い顔で僕を見つめている。強い風ががたがたと窓を鳴らした。

 「なんで」

 僕は思わず呟いた。

 「おいでよ」

 僕から目を逸らさずに彼は囁いた。両手を差し伸ばし、僕を待っている。

 「あの頃の僕を取り戻しに行こう」

 彼がそう言うのを聞きながら、僕は疲労困憊して全身から力が抜けていくのを感じた。漠然とした恐怖を感じていたが、それは一時的なものだった。ソッチニ行ッテハイケナイ。頭の中で小さな声がした。キット引キ返セナクナル。その考えがぐるぐると頭の中を巡っていたが、心の奥底には届かなかった。疲れ過ぎていて感情はなおざりになっていた。僕はもうほとんど何も出来なくなっていた。

 「大丈夫」

 彼は僕の首に腕を回し、微笑んだ。

 「何も心配することなんてないんだ」
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