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「友達」

 孤独が僕を飲み込んでいく。理解者が欲しい。本当の理解者が。……まあ、僕の不幸を分かち合ってくれる相手であれば、誰だって構わないのだけれど。

 僕を愛してくれる人のためなら、僕は何だって差し出すだろう。お金も時間も惜しまない。惜しいものなど何もない。僕の望みは、その人を幸せにすることだけだ。その人が笑えば、僕は一緒になって笑うだろう。誰かがその人を悲しませたら、僕は一緒になって悲しむだろう。

 僕は人の気持ちに敏感な人間だ。でも、僕の気持ちは誰も分かってくれない。

 そう、彼だって。結局のところ、僕のことは何一つ分かっていなかった。

 電話を切ってから一時間後、彼は駅の改札口に現れた。彼は以前会った時に比べ、幾分太ったように見えた。顔がぱんぱんに浮腫んでいる。ゆったりとした長袖シャツは、腹の部分だけが膨れて、さながら狸の置物のようだった。駅を出ると、太陽が建ち並ぶ建物を金色に染め上げていた。陽光はまだ目を刺すほどではなかった。すぐ側の大通りを車が何台か通り過ぎ、コンビニの前で十代後半の少年たちが固まって談笑していた。

 彼と僕は大通りを渡ってバス停のある方へ向かい、反対側の歩道に上がってベンチに腰を下ろした。頼りない金属製の足がぎちりと音を立てる。コンビニの前にいた少年たちは横並びになって歩道を塞ぎ、駅の方へと歩き出した。

 「あーいう奴らって頭悪そうだよな」

 彼は言った。

 「自分らが他の通行人に迷惑掛けてんだってこと、分かんないのかねぇ。普通、一人くらい注意するだろ。一人じゃ何も出来ない奴の馴れ合いとかねーわ」

 「機嫌悪いね。嫌なことでもあった?」

 僕は訊いた。

 彼は頷いた。ペットボトルに入った炭酸飲料を飲んでいたので、飲み口から顔を離すまで話すことが出来なかった。

 「職場の主任が最悪なんだよ。性格悪くてさ、パートのおばちゃんといっつも口論してるし。で、その間に挟まれてるのが俺なわけよ」

 僕は彼に笑顔を向けた。

 「分かる分かる。間に立たされるのって辛いよね」

 「ああ、本当にそうなんだよ。シフトもさ、主任とパートのおばちゃんが土日ばっか休みにするから、俺は平日しか休み取れないし。つーか、俺が一番の被害者じゃんな」

 彼がそこまで言った時、バスが到着した。僕たちは一旦話を止め、客のいないバスに乗り込むと、一番後ろの席に座った。

 「有給とかさ、リフレッシュ休暇も使えないの?」

 僕は彼に訊いた。もし彼に自由に使える休暇があるのなら、前に僕の誘いを断ったことに対して、多少なりとも彼には気まずさを感じていて欲しいと思った。僕だったら、友達に遊びに誘われたら、よほど重要な仕事でもない限り、その日は会社を休むだろう。彼にはこう言ってもらいたい。好きな時に使える休みはないんだ、と。

 「有給は先月友達と旅行に行った時に、ほとんど使い切っちゃったんだよ」

 彼は僕の期待をあっさりと裏切った。悲しかったし、腹が立った。僕が傷ついていることに、彼は気づいてもいないのだろう。そう考えると、絶望的な気持ちになった。

 「旅行って、どこに行ったの?」

 僕は彼を責めなかった。ここで僕が彼のことを批判したら、彼は僕のことを彼の他に友達のいない寂しい人間だと思うだろう。僕は自分を惨めにするようなことはしたくなかった。僕には彼の他にも友達はいる。

 彼は窓の外を見た。ほんの少し唇が歪む。

 「山の方だよ。のんびりしてきた」

 窓の外には、平日の午前の穏やかな景色が広がっていた。バスは町の中心部から、どんどん離れていっている。

 「お前は最近どうなの?変わったことはあった?」

 彼は訊いた。

 僕は目を伏せて俯いた。握り締めていた手が熱っぽく、汗ばんでいるのが不快だった。

 僕は、自分の身の上話を何から何まで彼に話してしまいたくなった。もしかしたら、興味を持ってもらえるかもしれない。

 静寂。

 僕は作り笑いを浮かべた。

 「特に。いつも通りの毎日だった」

 そう言った途端、心臓が口から飛び出してきそうなほど激しく鼓動を始めた。いつも通りの毎日。誰からも気にかけられることのない毎日。僕は独りきりだった。こうして彼と一緒にいるこの瞬間でさえ、僕はどうしようもなく孤独だった。

 僕は動揺した。そんなことはないと自分自身に言い聞かせ、またそれを打ち消すということを繰り返す。バスが目的地に近づくにつれ、計画から心を逸らさないようにするためには、これまで以上に努力をしなければならなくなってきた。油断すると、すぐに別の考えが合間を縫って忍び込んでくる。

 僕の中の彼が言う。理解しようとしたって無駄だよ、今の君にはその答えを見つけることは出来ないし、誰にも答えを出すことは出来ないんだ。理解なんかしようとしなくっていい。僕にだって分からないんだからね、と。

 僕は顔を上げた。

 自分が棺桶に入っている光景が目に浮かんでくる。顔を無くしてしまった僕が無言で横たわっているんだ。ほら、早くおいで、急いで。

 「次、降りるよ」

 僕は言った。

 彼は僕を見て、瞬きをした。戸惑いが伝わってくる。

 「次って大学前じゃん。本当にさ、今日は何する気?」

 「大学生、かな」

 「は?ごめん、何て?」

 彼は心底驚いたようだった。

 「大学生って、一日学生の真似でもすんの?え、本当に?」

 「お前にだってあるだろ、社会人になってから、あの時こうしとけば良かったって後悔しているようなこと。僕は学食の特盛りカレーを頼んでみたかったし、構内で追いかけっこをしてみたかったし、教授の部屋に悪戯仕掛けてみたかったし、まあ、色々あるんだよ」

 「変わってねえなあ」

 彼は呆れたように言った後、大きな声で笑い出した。

 ああ、確かに僕は変わっていない。

 本当に何も変わっていない。
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